らての子宮体癌体験談。どこも痛くなくて、元気だったけど・・。

子宮筋腫の定期検診で突然の子宮体癌発覚。まさか癌なんて夢にも思いませんでした。

誰にどこまで、いつ話せばいいの?その1

私がはっきりと自分が子宮体癌と認めたのは2018年5月25日でした。


大きな病院で、
「お医者さんに子宮体癌ですね。」


と言われた時です。


もちろん、受け止めました。
正直、はっきりして、ちょっとスッキリもしました。


検診で陽性と言われ、組織診で悪いものあると言われ、
(まあ、ここで普通は癌と言われたようなものなんですが・・・。)
婦人科のお医者さんは、はっきりと病名は言わなかったから、
まだ、違うかもってちょっとは思っていたわけです。


大きな病院に行けば、
「違いました。
怪しかっったけど、要観察ですね・・・。」


なんて、言ってもらえるかもって心のどこかで思ってました。
ってか、思いたかったんです。



でも、癌でした。


はっきり言ってめちゃくちゃ元気でした。
週2回仕事して、週2回ほどテニスして、ウオーキングアプリで
順位を競い合って、ほんとどこも痛くありませんでした。



ほんと、自分でもこんな元気な人が病気なんだ。
って実感しました。
ちょっと他人事のようでした。
不思議と涙は出ませんでした。



病院から帰って、
真っ先に旦那にラインしました。


”子宮体癌です。卵巣腫瘍も右にあるらしい。
6月中に手術予定です。帰ったら報告します。”


旦那は
“マジか?”


とのラインでした。



次に職場の方へ当日報告しました。
週に2回とはいえ、仕事に穴をあけることになりますし、
場合によっては辞めないといけなくなるかもしれません。
そのことを上司に伝えなくてはいけません。


電話で話しました。


病名を伝えると
「らてさんが・・・ですか?」
ととても言葉につまっている様子。
私の病名、重い・・・。ですよね。
もし、私が健康で、同じように打ち明けられても、
やはり、重いし、言葉につまると思います。
どう、言葉をかければいいのか・・・。
悩むと思います。
思います。


6月の行ける日まで仕事をし、入院手術が決まれば、そのタイミングから
しばらく休ませていただくことになるとお話ししました。
場合によっては辞めることもあるかもしれないことも。


了承いただきました。


そして、息子。


私は息子には本当の病名を話す気はありませんでした。
成人しておりますが、母親が癌ってちょっとつらくないですか?
だから、子宮筋腫で入院と伝えようと思っていました。



でも、帰ってきた旦那が
「で、かあちゃんの病気は結局どうなの?」
と息子もいるところで、ずばっと聞いていたのです。


仕方ないから、私もさらっと
「だから、子宮体癌だけど。」
と答えました。


息子
「え、かあちゃん、がん?マジか?」




「そう、病院でそう言われたから手術になると思う」
と話しました。


さすが親子。マジか?って同じ反応
ちょっと笑えてきました。


旦那
「△△もかあちゃんのこと、手伝って」


息子
「うん」


こんな風にして、息子には事実を伝えました。

リンパ浮腫なの?

退院してから3日目の7月3日。


朝から朝食準備。
食パン焼いて、バター塗るだけですが。
食器洗い。


洗濯干し


ちょっとトイレ掃除


昼食準備。


ほぐすだけの冷やし中華。
息子と二人分。
きゅうりとレタス、ちくわを細切りしました。


チルドシュウマイをレンチン。
自分の分だけ食器洗い。



夕方に散歩がてら、近くの郵便局まで・・・。


夕食準備。
肉豆腐。キッコーマンさんのうちのごはんで省エネ。
ジャガイモのガレット。薄くスライスして、焼くだけ。
自分の分だけ食器洗い。



少しゆっくりして、シャワーへ。



えっ、なんか両脚付け根腫れてるんですけど・・・。
えええええっ~~~~。
触ると熱いし・・・。
マジですか????


これってリンパ浮腫ってやつですか?



ちーん



シャワーを終えて、病院からもらった説明書をじっくり読みました。


頑張りすぎない。


これか。オーバーワークになってたのかと反省しました。



足元を高くする。
休む。



これしかできることはありません。


ひたすら、横になって、体を休めることにしました。


自分の体ではありますが、何がどこまでできるのでしょうか?


これから日々考えて、やってみて、だめなら、またやってみて・・・。


じっくり進めなくてはいけないことがわかった一日でした。

手術後 HCU病棟へ

「手術おわりましたよ。」
と誰かが話してくれていました。


「はい」っと返事したような気がしています。
あまりちゃんと覚えていないのですが・・・。


そのまま、次に気が付いたのはベッドの上でした。
ちょうど時計が目に入り、16時50分ごろでした。


手術終了予定は14時ごろと聞いていたので、それよりもかなりの
時間が経過しています。


「なんかめちゃくちゃ時間かかってる。
筋腫いっぱいあったもんな。せんせいたち、がんばってチョキチョキ
切り取ってくれたんだなあ。」って思いました。


旦那が
「よくがんばったね。」と声をかけてくれました。


そのあとも何か話してたけど、ほんとごめんなさい。
あまり覚えていません。


「帰るね」と言ってどれくらいつきそってくれていたのかはわからないのですが、
旦那は帰っていきました。



HCU病棟は看護師さんが通常の病棟より多めに配置されていて、
術後のケアが通常の病棟より厚いと聞いておりました。



「らてさん、寝返りうってみましょうか?」と看護師さん。


私はなんとか、看護師さんの力をかりながら、寝返りを打つことができました。


口には酸素マスク、左手は確保された点滴ルートが2本、右手は点滴ルートが1本、
血圧計がまかれていました。酸素を測る器具が指にささってました。
後でわかったのですが、このほかに右腹にリンパ液を抜くためのドレーン、
それと尿導入のドレーンがありました。



どれくらいの間隔かはわからないのですが、一時間おきか、二時間おきに
体温、血圧、酸素の確認があります。


私は熱もそんなに高くなくて、37度くらいでした。
あまり、眠れなくて、30分ごとに時計をみていたように覚えています。


ほんとに時間が全然たちません。



それと、思いのほか看護師さんたちの会話が聞こえるんです。
同じ病棟の方がとても術後のケアが必要な方がいらして、
ずっとつきっきりの様子がわかります。
ずっとずっと、血圧が心配な状況らしく、測定しては
次の処置を繰り返されています。
とにかく、大変そうでした。
自分も自分なりに大変なんですが、もっと大変な人がいる。


その後、救急のお医者さんがよばれて、その患者さんは
少しずつ落ち着かれたようでした。
よかった。



私は、検温の際に、寝返りを別方向にしたいとお願いし、看護師さんに補助を
お願いしました。
同じことを次の検温の際にお願いすると、


「ご自分でできるのなら、寝返りうっていいですよ」とのこと。


体をずらしながら、少しずつ挑戦すると、


できました。やれば、できる!


なんとか、眠るためにアイスノンをもらって頭を冷やすと少しの間
眠ることができるようになりました。


朝の2時ごろから、ちょっと困ったことがおこりました。
なんだか、大きいほうが出そうな気配です。


事前に便はベッド上でできるので、看護師さんにお願いしてください。
と言われていました。


でも・・・。
できれば、ベッドではしたくない。
なんとか我慢できないか。
朝の10時ごろにお引っ越しと聞いていたので、それまでもちこたえられるか。
あと、8時間も大丈夫か?
心配でした。
とりあえず、もぞもぞが去るのを待ちました。



この頃から、同じ病棟の患者さんの


ぷうっ~


という音が聞こえるようになりました。


頭の中で、看護師さんからずっと聞かれる
「ガスは出ましたか?」の声がリピートされます。


ガスはでないけど、もぞもぞがすごくて・・・。


手術後に一番気を使ったのは


個室にもどってから、トイレに自分で行って、すっきりしたい。



このまま、朝までもぞもぞとの闘いが続きました。