らての子宮体癌体験談。どこも痛くなくて、元気だったけど・・。

子宮筋腫の定期検診で突然の子宮体癌発覚。まさか癌なんて夢にも思いませんでした。

手術翌日 病棟にもどってから

病棟看護師さんに付き添ってもらいながら、車いすで個室に戻りました。


個室にもどると看護師さんが
「歩ければ、この尿の管はずせるんですけどね。
 ちょっと歩いてみますか?」
とのことでした。


私は尿の管をとてもはずしてもらいたかったので、
「はい。やってみます。」
と返事しました。



車いすからゆっくり立ち上がり、点滴をたてるポールのハンドル部分に
両手でつかまって、ゆっくりゆっくり部屋の中を往復しました。


歩けました。


なんとか歩けた私を見た看護師さんは、尿の管を抜いてくれました。


これでトイレに行くことが自分でできるように、なりました。
復活第一歩です。


看護師さん
「無理はしなくていいですが、できるだけ歩いてください。
病棟をお散歩してもいいですよ。
それから、できるだけ座ってみてください。」


看護師さんがいなくなって、少したってから、おしりのもそもそ感が
やってきました。
なんとかトイレにたどりつき、うんちが出ました。
ガスも一緒でした。水便でした。
どうやら、手術前日に飲んだ下剤作用が未だ効果が残っていたようでした。
とにかく、昨日の夜からの厄介ごとがひとつなくなりました。


その後、初めておしっこも出ました。
少し、違和感はありましたが、なんとかできました。
違和感というのは、自分では出し切ったと思っているのに、まだ、
おしっこがでているという不思議なタイムラグでした。



お昼になると食事が出てきました。


全粥と牛乳、おひたし、あとはあまり覚えていません。
ほとんど食べられなかったです。


スマホをもっていましたが、写真をとる気にはなりませんでした。
やたら、うとうとしながらも、座らなくてはと必死でした。
トイレに行くときのみ歩きました。


弟、職場の皆さんと近所の仲良し2人、テニスの仲良し3人、テニスの
グループレッスン仲間に手術無事終了の報告のため、ラインしました。
これが精いっぱいでした。


夕食が出ました。


普通のごはん、ピーマンの肉詰めがメインで、
あとはお芋のにっころがし、きゅうりの酢の物、お味噌汁、オレンジ


ごはんは3口くらい食べ、ピーマンを一切れなんとか食べました。
きゅうりの酢の物が口当たりがよくて、1/3程度食べました。
そして、オレンジ。
水分があり、適度な酸味と甘みで2切れを完食しました。
フルーツがこんなにおいしいとは思いませんでした。


夜、19時過ぎに旦那と長男がお見舞いに来てくれました。
入院に備えて購入した抱き枕をもってきてもらいました。


旦那が退院後の生活のためにと本を買ってきてくれました。


きっとひまだから、退院まで勉強してねと。


そして、旦那にお願いしていた、摘出した子宮、卵巣、卵管と筋腫の写真を
見せてもらいました。癌になっている個所もおしえてもらいましたが、
「明日、ドクターにこれ見せて聞いてね」
と旦那が言いました。


その後、二人に付き添ってもらって病院内のコンビニまで散歩がてら、ヨーグルトを
買いに行きました。ものすごく、遠く感じましたが、無事ミッション達成しました。
二人は帰っていきました。


夜に氷枕をもらって、術後1日目終了しました。

手術翌日 HCU病棟


夜一度、吐き気におそわれました。


看護師さんが背中をさすってくれました。
ひとのぬくもりを感じました。
背中をさするって動作が、つらい人の助けになるんだということを
改めて知りました。


お水は飲むことができませんでしたが、うがいはできました。
少し吐いた後、看護師さんが水差しをもってきて、うがいできました。
とてもすっきりし、のども潤ってきました。
ただのうがいがこんなに気分がよくなることを初めて知りました。


夜は痛み止めの薬と吐き気止めの薬を点滴してもらって、なんとか
朝を迎えました。



朝、6時30分ごろでしょうか?
執刀医のドクターが様子を見にきてくださいました。
このドクターは、手術当日も同じくらいの時間に様子を見にいらしてました。


ドクター
「どうですか?痛くありませんか?今、すごく痛そうな顔されましたよね」



「はい。寝返りうったら、痛かったので・・・」


ドクター
「あ、管ついてる方だからですね・・・。」
「1本、針抜きますね。」


と話されて、左手の手首動脈からとっていた針を外してくれました。
ちょっとすっきり。



その前には看護師さんに、酸素マスクと右手の血圧計をはずしてもらっていました。


これで少し、手と指の感覚がもどってきました。
両腕にいろいろ装着されていて、圧迫されていたので、
こわばっていて、しびれていたのです。



夜勤の看護師さんから日勤の看護師さんに交代して、11時ごろ
引っ越し予定なので、それまでに歩く練習をしましょうとのことでした。



昨夜からの便意はまだ続いていましたが、先が見えてきたので、なんとかもちこたえられそうです。


朝、歯磨きとうがい。


その後、水を飲んでもいいとのことで、ゆっくり飲みました。
一気に飲むと具合が悪くなることもあるとのことで、ゆっくりゆっくり
味わうように飲みました。


朝9時ごろ、集団回診の時間でした。
初めてみるお医者さんたちばかりでした。


「どうですか?」「痛みは?」など本当に普通の会話。


看護師さんがきて、引っ越しは11時10分ごろになるから、それまでに
歩行練習をすることになりました。


10時15分


リハビリ開始です。


まずは足首の運動。左右の足の指でぐーぱーを5回ずつ繰り返しました。


次はひざをたて、またもどす練習。5回。


次はベッドから起き上がり、座る練習。


ここまで順調です。


次に立つ練習。
なんとか立ちましたが、ここで吐き気が襲ってきました。


歩行練習は中止になりました。


看護師さん
「無理はせず、尿の管はつけたまま、車いすで病棟にもどりましょう。」



11時15分ごろ、入院病棟の看護師さんが迎えに来てくださり、
車いすで、元の病室へと向かいました。

母親二人へどう伝えるか?

母は二人とも健在です。


実父は二年前に癌闘病の末、他界しました。


義父は今年2月に癌闘病の末、他界しました。


二人の母ともに夫を癌で亡くしています。
ともにとても離れて暮らしているのですが、一人暮らしです。


私の病気を伝えるとどのように感じるのでしょうか?



私なりに考えました。


入院予定は6日間。
毎日電話しているわけではなく、一週間に一回程度なので、
きっとなにも言わなければ、わからないと思いました。


旦那は自分の兄弟に、私は弟に病気のことを伝えました。
そして、母へどう伝えるか、私なりの結論を話しました。
それぞれ、わかってくれました。


まず、実家の母。


★主となる病名は伝えず、付随する病気での入院・手術を伝えました。
具体的には、


「子宮筋腫で入院、手術することになりました。」




そして、旦那の母。


★伝えませんでした。


義母はものすごく心配性で、義父を亡くしたばかりでした。
義母自身も闘病しており、これ以上心配事を増やすことは
したくありませんでした。



この選択が正しいのかはわかりませんが、
私の意志と希望を尊重してくれた、旦那、兄弟にとても感謝しています。